全米プロゴルフ選手権の優勝者ジェイソン・デイ、涙の優勝に隠された感動秘話

今季のメジャー最終戦、全米プロゴルフ選手権は8月16日、オーストラリア出身のジェイソン・デイがメジャー記録を更新する通算20アンダーという偉業を達成し、メジャー初制覇を果たした。

通算20アンダーという記録更新もさることながら、印象深かったのは、優勝が決まった瞬間に流したデイ選手の大粒の涙だった。

なぜ彼は優勝の瞬間、号泣したのか ? そこには、家族愛が織り成す感動秘話が隠されていた。

そこで今回は、彼の軌跡をたぐる感動秘話について紹介する。

3歳で手にした魔法の銀の杖

ジェイソン・デイが生まれ育ったのは、オーストラリア・クイーンズランド州の山間の町、ボーデザート。

ジェイソンはオーストラリア人の父・アルビンさんとフィリピン人の母・デニングさんの間に生まれた。

3人姉弟、末っ子ではじめての男の子ということもあって、とにかく父親に可愛がられたのだそう。

ジェイソンが初めてゴルフクラブを握ったのは3歳の時。

ゴミ捨て場に捨てられていた古びた3番アイアンを拾ってきたのだ。

彼は父の目の前で ボールを置き、器用にそれを振り抜くと、球は”シューッ!”という音を立てて自宅の門の間を抜けていったという。

自分の背丈以上もある長尺のゴルフクラブで、だ。

それを見た父は目を丸くしながら、母・デニングさんに向かって「彼はいつかチャンピオンになるね」と呟いた。

それがすべての始まりだった。


↑現在は一児の父となったジェイソン・デイ。その幸せへの道のりはあまりに遠かった

 

父は精肉工場で働いていて、暮らしはお世辞にも裕福とはいえなかった。

「学校に着ていく制服もリサイクルショップで買うしかないほどお金がなかったんだ」とジェイソンは当時を振り返る。

色黒で、学校に行けばアジア人はジェイソンだけだ。

みすぼらしい服装から「難民なんじゃないの?」と言われたこともあった。

そんな暮らしの中、ジェイソンは3番アイアンという宝物を手に入れた。

 

それは彼にとって銀色に光る魔法の杖だった。

 
初めてのゴルフクラブを手に入れたジェイソンは、暇さえあれば裏庭に行って、父と一緒に古びた3番アイアンでボールを打ち込んだ。

 

そして、その銀色の魔法の杖はジェイソン少年に「たゆまぬ努力」という才能を与えた。

父は息子のスイングを見るほどに「彼は大物になるんじゃないか」という想いが沸いてきたそうだ。

経済的な余裕は全然なかったが、父は息子が6歳になると、彼をカントリークラブのジュニアメンバーに入れ、8歳になると質屋でゴルフのフルセットを買ってきて与えた。

当然、家族の暮らしは上向いたとは言えなかった。

それでも両親と2人の姉は、末っ子であるジェイソンの”楽しみ”をいつでも優先してくれた。

8歳でゴルフクラブのフルセットを手にするなんて。

興奮気味にそのセットを手にしたジェイソンは、それからというもの毎日何時間もクラブを振って練習した。

実際、小学生のころのジェイソンは毎日、朝5時から8時30分の練習に加えて、帰宅後も練習に没頭した。

気づけば、ほぼ毎日、週32.5時間にもおよぶ練習を積んでいたのだという。

「フルセットのゴルフクラブを持ち、ゴルフ場で練習をするから、僕たち一家は金持ちなんじゃないかって噂されたけど、そうじゃない。すべて家族の犠牲の上で、僕はゴルフを練習していたんだ」

ゴルフをできるということはジェイソン少年にとって掛け替えのない喜びだった。

嬉しそうに楽しそうに練習していたのと同時に、それが自分にできる唯一の家族への恩返しであるということも、幼少の心の中に芽生えていた。

しかし、父と子、二人三脚で歩んできたゴルフレッスンの日々は12歳のある日突然、終わりを告げられる。

いつもと同じある日の夕方だった。

父アルビンさんは仕事から帰ってくると突然、腹痛を訴えて倒れたのだ。

胃がんだった。

発覚した時にはすでに余命数ヶ月という状態で手の施しようもなかったという。

アルビンさんは病床で「遺灰はオーガスタ(マスターズの会場)に撒いてくれ」という言葉を遺してこの世を去った。

家を失ってでも名門校に入れた母の決断

父が他界してからというもの、ジェイソンは一切クラブを振らなくなった。

「ゴルフどころか、何もやる気がない様子だった」と母・デニングさんは随想する。

無気力状態が続き、これではいけないと感じていた母は、あることを思い出す。

「夫は生前、息子をゴルフで有名な全寮制の私立高校に入れると言っていて、ジェイソンもそれを目指してがんばっていたんです。それが父を亡くし、家計に余裕がなくなったから、彼は(家計の負担になる)ゴルフを止めたんだと分かったんです」

彼が目指していたのは、同世代のライバルとも言えるアダム・スコットらを輩したKooralbyn International School

ゴルフのエリート校だ。

しかし、そもそもゴルフは経済的に余裕がないと続けるのが非常に困難なスポーツである。

「ただでさえ貧乏なウチが」という思いがデニングさんの頭を過ぎった。

2人の姉も同時に育てていかなくてはならないのだ。

しかし、このままでは息子がゴルフというステージから、自ら降りてしまうと感じたデニングさん。

彼女は意を決して、家族4人の絆の象徴でもある「家」を抵当に入れて、学費を捻出することにした。

 
学費がどれほどの負担となるのかは、12歳の少年には分からなかっただろうが、「家を失った」という事実は大きな衝撃を与えただろう。

 
そして、ジェイソンは立派な学生寮へ。彼以外の家族3人はさらに貧しい生活、という別々の暮らしが始まった。

「当時は、お金よりも、家族が引き裂かれるような心配のほうが大きかった」とデニングさんは語る。

↑プロになったあとも、持病の「発作性頭位めまい症」がたびたび彼の栄光の邪魔をした

家族は貧しい暮らしをしているのに、自分は全寮の私立校でゴルフにふけるという日々を、若干12歳のジェイソンはどう受け止めればよいのか分からなかった。

 
「僕は、母や姉を犠牲にしている」

 
ジェイソンは自責の念に心が蝕まれたという。

母・デニングさんはこう言う。

「でも、母として私にそれ以外の何ができる?」

ジェイソンはこの時、わずか12歳。
※オーストラリアに中学制度はないので、小学6年相当の次はハイスクールとなる。

そんな気持ちで学校に通うジェイソンの心は日々、すさんでいったという。

周りの生徒たちはどう見ても、自分より裕福で幸せそうな学校生活を送っていた。

未来の希望に目を輝かせ、週末は何して遊ぶ、彼女はどうやって作ればいい?

そんな会話が飛び交っていた。

僕にはゴルフしかない。

そのゴルフだって、どうなるかは分からない。

本当は長男として、亡くなった父の分まで働いて家族を養うべきではないのか。

僕は何をやっている―。

そんな想いが少年の心に荒波を起こしていた。

ジェイソンはその内、仲間との練習を避け、独りで練習するようになった。

また、時には寮を逃げ出したり、時にはコーチに喧嘩を吹っかけるなど問題行動が目立つようになってしまった。

父親のように寄り添ったコーチ・スワットン氏

コーチ、コリン・スワットンはそんな荒れたジェイソンを見ても鷹揚として見守っていたという。

スワットンは、入学当初からジェイソンの類まれな才能を見抜いていた。

スワットンはジェイソンの父親代わりともいうべき立場で彼を見守り、少年時代と同じ朝5時からマンツーマンで練習をともにしたという。


↑コーチのコリン・スワットンさんは12歳から、まるで父親のように彼に寄り添った

そして、母が大きな犠牲を払ってまで入学させた全寮制の高校に入り、スワットンというコーチを得た彼は、ついに日の目を見ることになる。

2004年、豪州国内の学生大会で7タイトルを奪うと、U-19の豪州・NZ選手権でも優勝した。

その強さは、その風貌からまるでタイガー・ウッズの再来と言われるほどだった。

タイガー・ウッズは彼の中での目標でもあったが、その年、タイガー・ウッズが1991年に一躍名を馳せた「ゴルフ・ジュニア世界選手権」に出場すると、ジェイソンは当時のウッズの記録を上回る7アンダーというスコアで優勝したのだ。

世界最高アマチュアの誕生だった。

彼の状況は一変した。

ただ、母デニングさんの暮らしは変わらない。

掛け持ちで昼夜を問わず働いたデニングさん。

高校を卒業すると、世界最高のアマチュアプレーヤーは、プロへの道へと進むため、米国ツアーを余儀なくされた。

事務員の給料ではとてもツアーに送れないと考えた母は、ロックハンプトンにあったもう1軒の家も抵当に入れた。

これで、デイ一家はまたしても借金生活となった。

しかし、それでもなお資金的に厳しいことが分かると、今度はスワットン氏が高校のコーチを辞任した。

 

専属のコーチとキャディーに専念するためだった。

これは、まさに亡くなった父アルビンの代わりともなる二人三脚の再スタートと言えるだろう。

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最愛の母、デニングさん。12歳から母独りで育て、2度にわたって自宅を抵当に入れるなどの苦難を抱えながらも、ついに息子を世界一のゴルファーに育てた。

”惜敗の男”がついに涙の優勝

2006年にプロデビューし、2008年に渡米した。

2010年には、バイロン・ネルソン選手権で初優勝するなど着実に実績を伸ばしていったジェイソンだが、4大メジャーでは結果がずっと出なかった。

というよりも、これまでの実績を紐解けば、メジャー20大会に参加し9度が10位以内と、あと一歩のところで地団駄を踏むような結果が続いていたのだ。

 

特に2011年はマスターズ、全米オープンでともに2位で終わるという不運に見舞われた。

さらに、2013年もマスターズ3位、全米オープン2位という結果。

2015年には全米オープン、全英オープンでともに最終日まで首位に立ちながら、それぞれ9位と4位に終わった。

ついたあだ名は「惜敗の男」。

また、渡米後に「発作性頭位めまい症」という病気が発症するという不運も重なっていた。
(6月の全米オープンではラウンド中に倒れるというハプニングもあった)。

 

そして、プロデビューから9年、紆余曲折を経て迎えた2015年8月17日。

男子ゴルフのメジャー最終戦となる「全米プロ選手権」。

前評判は、同じく最終組で回った世界ランク2位(当時)のジョーダン・スピースが優勢とされていたが、惜敗の男はついにその殻を破った。
 

3打差リードで迎えた最終18番ホール。

 
ピンまで約15メートル。

 

彼は全世界が見守るグリーンの上で、3歳の時に手にしたような銀色の杖を手にしていた。

 

優勝はすでに決まっていた。

 

あとはこのボールを沈めるだけだ。

パターで下を向いていてテレビには映らないが、すでに涙があふれている。

こみ上げる感情からファーストパットを外してしまった。

セカンドパットでそれを丁寧に沈めると、感極まってしまった。

 

父を喪ってから15年目の夏だった。
 


↑優勝当日の模様。表彰式では感動的なスピーチを披露した。

「1つのドアが閉まった。でも、もう1つのドアをお母さんが開けてくれた」

優勝後のスピーチで彼はそう言って、再び涙ぐんだ。

念願のメジャー制覇を果たしたジェイソン・デイ。

彼は全米デビューする前、国内のタイトルを獲った時、インタビューでこのようなことを語っていた。

 

「お母さんが僕のために払ってくれた借金は、僕がすべて返す。

そして、お母さんにもう2度心配をかけないようにする。

それが僕にとっての最高の喜びなんです。

トーナメントに勝つよりも、まずそれを実現したいんです」

 

全米プロゴルフ選手権の優勝賞金は180万米ドル(約2億1600万円)。

 

末っ子のジェイソンくんは同時にそれを手に入れた。

もう、お母さんに心配をかけるようなことはないだろう。

本記事は豪有力紙ヘラルドサン「Jason Day: The touching story of a boy from Beaudesert, Queensland」、ABCニュース「Jason Day’s proud mother reflects on PGA Championship victory」などを中心にまとめたものである。


まずはアイアンから始める?

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