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海外移住予定者が知っておくべき、野島伸司監修ドラマ「明日、ママがいない」の是非論

「明日、ママがいない」は問題作なのか?

ここのところ、日本の社会ニュースをにぎわせている日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」。

児童養護施設を舞台に、主人公のあだ名が赤ちゃんポストにちなんで「ポスト」と呼ばれたりするなどの設定が物議を呼び、1月21日には全国児童養護施設協議会が厚労省で会見を開いた。

同協会は、子どもをペット扱いする台詞や暴力・暴言で恐怖心を与える場面があるほか、児童養護施設関係者の人権問題にもかかわる表現があるとして、改善を要求するという事態に発展した。

また、同協議会は今後も改善が見られない場合には、放送および撮影の中止、スポンサーへの抗議も辞さないと強弁だ。

さらに、28日にはスポンサー8社がCM放送を見合わせるなど、近年まれに見る問題作となっている。

しかし、このドラマ、そんなに問題があるのだろうか?と疑問に感じている人もいるかもしれない。

実際、ナインティナインの岡村隆史は1月23日、出演しているラジオ番組「オールナイトニッポン」で、「お芝居ですから」「ポイントだけ捉えられて、ドラマの本質が理解されていない」「これで放送中止になってしまったら、テレビの未来はない」と、制作側の意向に配慮した意見を述べている。

つまり、フィクションであり、演出を施している映像作品としてのドラマやバラエティー番組に対し、何でもかんでも「人権侵害だ」「自殺を助長する」などと異議を唱えるのは異常だ、というわけである。

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自殺は100%避けられるというポスター

これは、昨今の日本で社会問題化している「クレイジークレイマー問題」と「テレビ放送における表現の自由」のぶつかりあいという様相を映し出していると言える。

 

そもそも問題だらけの野島伸司作品

確かに、第一話を観てみると、三上博史扮するグループホームの施設長が子どもたちに向かって、「お前らはペットだ!」とどなり飛ばすシーンがあったり、色恋に溺れ、あっさりとわが子を捨てるシーンがあるなど、見ていて不快なシーンはある。

ただ、児童を保護するはずのグループホーム側が子どもを冷酷に扱ったり、まるで、闇取引かのような里親探しの方法など、設定は非現実であり、「明らかにフィクション」だ。

つまり、あのドラマを見て、赤ちゃんポストや児童虐待について“リアリティ”を感じた大人はほとんどいないだろう(ただし、子どもは見るべき作品ではないと思う)。

野島作品というのは、そもそも社会派のように見えていながら、実は、フィクション性の高い(つまり、非現実的な)展開やストーリーが特徴だ。だからこそ、野島作品は注目され続けてきたし、社会に波紋を投げかけてきた。

過去の野島作品を振り返れば、「愛という名のもとに」(92年)、「高校教師」(93年)、「未成年」(95年)など、社会問題や世相を反映したとされる作品が多い。

しかし、うがった見方をすれば、そうした世相を反映した作品を書けば、自ずと世間の注目を浴び、数字が伸びるというところから発想された、確信犯的エンターテイメント作品であるということも言える。

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赤ちゃんポストという厳しい現実をドラマでどこまで正しく伝えることができるのかという疑問も残る

現実には、「聖者の行進」(98年)が放送された時、暴力的な表現が多すぎるとして、抗議の電話が相次ぎ、ついにはスポンサーが降りる事態に発展しているという。

こうしたことからも、今回の騒動は、起こるべくして起きた騒動だといえる。

というのも、昨今は、「半沢直樹」(13年)に代表されるような“実体験を基にしたリアリティーのある作品”が好評を得やすい社会状況にあるということだ。

と同時に、「家政婦のミタ」(11年)と「半沢直樹」に共通するように“初期設定が地味”(つまり主人公が普通の銀行員だったり、家政婦だったり)な方が観ているものの感情を揺さぶる傾向にある。

わかりやすく言えば、野島作品は圧倒的な世界観を上から被せてくるような上段構えの作品で、「半沢直樹」や「家政婦のミタ」など最近のヒット作品は、下からじわじわと視聴者の感情を揺さぶる等身大的な作品だと言える。

これは、アイドルに置き換えれば非常に簡単で、野島作品は松田聖子的で、「半沢直樹」などの昨今のヒット作は、AKB48的ということだ(余計にわかりにくいか?)。

この理論が正しければ、野島作品は、現代のようなクレイジークレイマーが闊歩する日本社会では騒動を起こすだけの駄作となる可能性が高い。

ただ、慈恵病院がクレイジークレイマーかと言えばそうではなくて、彼らは至極当たり前のことを主張しているに過ぎず、これまで社会的に容認されてきた野島作品の作品性というものが、こうして大騒動にまで発展してしまう社会へと変容してしまったということだ。

ここを言わなければ、ナイナイ・岡村さんの発言は炎上する可能性がある。

これらのことを考えれば、日本テレビは少々、時代を見誤った感がある。

同様のテーマでも、平成25年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞したTBSの特別ドラマ「こうのとりのゆりかご」とは世間の目は非常に対照的だ。

映画だけでなく、日本のテレビ番組にもレーティングを付けるべき

さて、赤ちゃんポストに目を向けた場合、海外の事情と比較してみるとどうだろうか。

例えば、ドイツでは赤ちゃんポスト(Baby Klappe)は合法化されていないまでも、赤ちゃんの命が助かるのは喜ばしいことだという社会通念が浸透しており、全国に80カ所以上も設置されている。
これと同様に、ヨーロッパ各国では、赤ちゃんポストを容認・設置する国は多い。

オーストラリアでは2010年、シドニーで新生児の遺体が靴箱の中から発見されるという痛ましい事件があってから、赤ちゃんポストの設置について議論されている(2013年現在、オーストラリアに赤ちゃんポストはない)。
そのため、慈恵病院は設立当時から世界で注目を浴びている。

↑熊本・慈恵病院「こうのとりのゆりかご」は誕生時から世界の注目を浴びており、オーストラリアのニュースにも登場した(2011年)。

アメリカでは、 多くの州が「Safe Haven Law(赤ちゃん避難所法)」を採用している。この法案は、親が合法的に新生児を安全な場所に避難させられる(要するに、やんごとなき事情なら捨てられる)という法律がある。

日本の場合は、「赤ちゃんをポストに捨てるなんて、親として無責任かつ人間として残酷すぎる。言語道断だ!」という意見が多数だろう。それが普通の感覚だ。

もし、そうでないとするのならば、「明日、ママがいない」はヒットしないだろうし、これほどまでの騒動にはなっていないと思える。

これは、日本とその他の国の社会的倫理観と法制度の違いを感じるひとつの視点だ。

日本もその他の国も、同じく「新生児の命は社会が守らなければいけない」と感じているが、日本では、それが主に親(個人)の責任として捉えられるのに対し、欧米各国では、それは主に社会の責任として捉えられるという違いがある。

これは、海外移住予定者にはぜひとも感じておいてほしい感覚だ。

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そして、今回問題となっている、このドラマの視聴者および当事者への影響だが、そもそも夜10時から放送しているドラマを、主人公と同じ世代の子どもが見ている時点でおかしいといえる(その他の世代はさておき)。

例えば、オーストラリアではテレビ番組が始まる前には、その番組が子ども向けか大人向けかといった指標を表示しなくてはいけない制度(レーティング:Classification)がある。これはテレビ番組だけではなく、映画やビデオゲーム、DVDなどのメディアコンテンツすべてに表示義務を課している。

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↑ Classification Actという法律で定められているオーストラリアのレーティング。日本ではR指定と呼ばれているが、法的な拘束力はない。

もちろん、どんな番組を子どもに見せるかは親次第というところもあるので、こうしたレーティングを無視しようと思えば無視できる。

しかし、それは抑止力の問題ではなく、それこそが個人の責任ではなく社会の責任としてこの制度が存在している所以だ。それと同時に、親への啓発にもなっているので、例えば、小学生に「MA +15」の番組を見せようと思う親は自然と少なくなる。

MA+15とは、「セックスや暴力的な描写、または衝撃的な描写があるため15歳未満は閲覧禁止の作品」という意味だ。おそらく、「明日、ママがいない」は「MA+15」作品に値するのではないかと思われる。

このように、赤ちゃんポスト制度や子どもを有害番組から守る制度などが非常に微妙な日本社会。こうしたあいまいな社会では、社会の目よりも個人の目が重要視されてしまうので、共同体が壊れやすくなる。これがクレイジークレイマーを助長している問題の本質である。

そのため、今の日本社会では、野島伸司作品のような物議を醸し出す作品はテレビで放送するべきではない。単館系の映画作品にするのが妥当だと考えられる。

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